日々、在りしことども



七夜月三十日
歯が欠ける。春前、ここが気になるからわざわざ詰めたものを無理やり引っぺがして治してもらったと言うのに、結局詰め直しただけで、剥がれかけていたものはどうにもなっていなかったよう。虫歯の始まりになるとか、更に周囲が欠けるとか、先の不安もあるが、さて、次はまず歯医者を変えるべきかどうしよう?

ここ一週間ほどで目覚しい成長を遂げていた朝顔が咲く。一輪目は昨日の朝か。
嬉しくはあるが、そこそこ大輪の花は風雨に打たれ、潰れていた。ちと残念。

鷺草をちと植え替える。白い花が美しい夏は、一年で最も植え替えに向かない時期、という言葉をもっともだと思い出しながら、太い根っこを引きずり抜き、あちらこちらへ。鉢一つと、お裾分け用をそれぞれでっち上げる。枯れぬと良いが。
なお、面白い発見が一つ。発芽しなかった芋が、ころんとそのまま水苔の中から出てきた。てっきり萎み果てていると思ったのだが……これも増えたり、来年発芽したりするんだろうか。

本日も乱文雑文、とりとめなく。
七夜月二十九日
雨。蒸すが、これで気温などは助かっているところもあるのだろう。
しかし暑中見舞いが書けそうに無い。梅雨明けから八月八日までの間――というが梅雨、明けるんだろうか?

桜の枝にしか見えないものが壁に貼り付いていた。ツマキシャチホコなる蛾の一種らしい。世の中、まだまだ面白いものが居る。
七夜月二十八日
またメダカが一匹落ちる。暑い夏の夕。こうなってくると可能性としては@酸欠A熱帯魚の餌にメダカ向きではない成分が混じっている、となるのか。雌ばかり落ちていたのでそちら系の理由かと今日までは思うこともあったのだが。
七夜月二十七日
レッドチェリーシュリンプが抱卵した。オレンジ色の卵を腹にびっしりと抱え込んでいる。
メダカが良い栄養になったか、足し水が刺激になったか、雄がようやく育ったか。――CO2添加を切ったからというのだけは止めて欲しい。
なお、その雌だが、産卵はやはり体力を使うのか、餌への喰らい付きが凄いことになっている。一番に飛び付き、寄って来た他を喧嘩腰に蹴散らし、抱え込んで一人で貪る。『子持ちになった雌は雌じゃない、母親という名の凶暴な別の種類の生き物だ』そんな生物界の真理を垣間見る。

コロラドがついに開く。鉢のサイズか、思っていたより大きな花が立ち上がった。
どうも温帯睡蓮の花上がりが悪く、ダーウィンは先日二度目の花が咲いたきり、白と赤二種は気配も無い。 逆に熱帯のドーベンは相変わらず花付きがよく、毎日全部で五つぐらいは途切れることなく咲いては閉じてゆく。
まあだからこそ、今日の喜びもひとしおなのだが。

こうやって、だんだん深みにはまっていくのだうか。
七夜月二十六日
今度は白メダカが浮かんでいた。

二又分岐を買ってきて、エアを投げ込み式濾過器とエアストーンに分けて誘導、勢いを弱めつつ酸素容量は増やそうとしたが――ステンレス二又からエアが漏れる・ちょっと送っただけで泡石が唸る・濾過器パワフルなまま。

面倒くさくなった。

一方、発酵式CO2添加はペットボトル蓋の加工部分から漏れているようなので、最接着。こちらも夜間切り替え用に二又分岐を用意したが、前述のように漏れる。それでも使うべきか否か。考えるのが面倒くさくなってきた。


八時過ぎにちょっと立ち読みとブックオフに入って、出たら十二時前だった。確かに何冊も読み切ったが、 二時間ぐらい抜け消えてないだろうか?
七夜月二十五日
昨夜は馬鹿なことをした。

さておき。グラスキャットはともかく、今度はメダカが落ち始めた。白、緋、黒とバランスよく立て続けに三匹。とどめに、現在二匹しかいない白のダルマメダカが一落ち。
悲鳴をあげつつ、唯一原因と思い当たる投げ込み式エア兼濾過器のフィルターを――下の方、ぼろぼろに朽ちてやがる――安売りで買ってきた濾過綿を適当に切ったものと交換。水も幾らか換える。
大体、安物どころか水槽のおまけについてきただけあって、大き過ぎる気泡はエアの役を果たさず、勢いの強過ぎる流れは小型水槽をいたずらに乱す。
明日は分岐を買ってきて、一方を濾過器に、もう片方をエアストーンに繋ぐとする。

先日仕込んだ発酵式CO2添加も動いてないし……はぁ……
七夜月二十四日
グラスキャットと紅葉。

グラスキャットはなかなかの当たりだったよう。水槽を窓際に置いているのだが、透明な体が日光を折り曲げ、時に生きたプリズムと化して揺らめく虹色を纏い泳ぐ。涼しげでもあり、顔の不味さを体の美しさで見事に取り返している。
本夕、一匹落ち、赤エビの餌となったが、上手く水槽に合うようなら、少しずつ数を増やしていくのも良い。

三日目にしてようやく花屋へ。目をつけておいた昨年のミニ盆栽格安五百円売りのところから、ずっと欲しかった紅葉を手に入れる。
種から発芽したばかりのような細いのが、丸皿のなかから数本立ち上がり、小さな林を形作っているもの。
どうやら二種類ほどが混じっているらしく、葉が全体的に丸っこいのと、細く切れ込みの深いごく普通のが、ぱっと見である。欲しかったのは後者。季節を感じられればそれでよく、大きな苗はいらず、むしろ数センチぐらいの小さなものが欲しかったので、それが林立しているこれは自分にとってお得に過ぎた。
隣りにあったハゼも、なかなか良い感じだった。まずはこの紅葉の手入れだが、さてどのようにして楽しもう。

追:屋外メダカの稚魚槽を作り沈める。四角い二リットルペットボトルの上下を落とし、底となる方へ切った洗濯ネットを被せ、でこぼこに合わせて輪ゴムで止める。実際にメダカ水槽に沈め、睡蓮鉢で壁との合間に固定、水面からやや高い部分を切り捨てる。たったそれだけの単純なものだが、特に問題なし。採取した卵を早速中へと落とした。
結構便利に使えると思うが、ただ近頃卵の数が減ってきているように思う。さて、実際にはどうなることか。
七夜月二十三日
昨日に引き続き、また花屋が閉まっていた。二日連続定休日ということもあるまい。
こうも日が残るうちから店仕舞いするというのか。おのれ。

サルスベリだが、千円ぐらいでこれから開花するだろう苗が手に入るようだ。
また、ヒコバエといって根元から新芽を出し、それを分けて増やすことも容易い模様。
――サルスベリの大木は結構其処此処にありますねオヤこんなところにバケツとスコップが。

そんな夏の早い朝。

トランスルーセントグラスキャットフィッシュ(透明たなびきナマズ)五匹を召喚。財布に1500のダメージ。
七夜月二十二日
日食。曇りではあったが、流れる雲の濃淡に合わせ、時折欠けた円が浮かぶのが見えた。
非推奨の裸眼観察。

他、ヒコバエとグラスキャット。
七夜月二十一日
部屋の水槽容器(大)が空いたので、メダカの成魚を入れてみる。
元は屋外のボウフラ対策で、そこに緋と白を加え、繁殖に精出しなどしていたため、こうした一番真っ当な鑑賞は実は今までしていなかった。かなり良い。
成魚ともなればヒレも大きく、雄ならなおさら。色ののった緋メダカ、純白の白メダカ、普通種もあれはあれで野性味があるとでも言っておこう。それらが群れ泳ぐ姿はなかなかに美しい。今まで稚魚ばかり室内に入れてきたため、相対差で迫力も増している。
屋外繁殖要員が減ったことになるが、まあそれでも悪くない。
七夜月二十日
どう前向きに考えても蓮容器が水漏れしているようなので、エビや余った睡蓮を放り込んでおいた大バケツに無理やり沈める。
ついでに、余り良くないがそろそろ鷺草を移植し直して外観を整えようかと思ったが、ミズゴケの上にちらほらと小さな鋭い緑の葉が。
ひょっとすると、撒いた種からの実生だろうか。

実生自体はなんとかなるが、その先が難しいとも聞く。しかしこれでちといじりにくくなった。 さて、どうしようと呟きつつも顔がにやけるそんな日。
七夜月十九日
ネオンテトラが一日一匹のペースで規則正しく落ちてゆく。水が思ったより落ち着いていなかったかと 反省する反面、我先にと物蔭に隠れ、そのまま圧死していく連中を見ると自業自得という気にもなる。
なお、流木は水面から突き出ている部分にカビなど出てきたので、いっそアク抜きも沈下もしっかりやろうと屋外のバケツに放り込むことにした。

色々少々面倒くさい。
七夜月十八日
エビの脱皮を見る。先日から、これで三回目。これまで半年以上、どうしても見る機会が得られなかったのに、一度見た途端、これである。
水質の悪化、高温、まともに考えてみるべきか。

ダーウィン、そろそろ一つ目の花が終わる。最後のほうはピンクが花全体に散らばったような具合に変化していた。これはこれで色気がある。新しい蕾も上がってきており、楽しみ。

ネムも咲く。次々咲いて、一日で枯れる。

そういえば地元でもついに新型インフルエンザの患者が出たとか。夏休みに入ったというのに大変だなと思う一方、若者は注意すべきだとのことだが、いや私は違うしと、ごく普通に判断が出た。

以上、花火の日に。
七夜月十七日
蓮容器の水が無くなっていた。周辺の土が濡れているようにも見えるので、ひょっとしたら 穴でも開いているのかもしれない。
そこに放っていたヒメダカの稚魚も全滅。悲しみつつ、別容器の白メダカ稚魚を覗いてみたところ、しばらく前には十を越え泳いでいたのが、ほんの二三匹に減っていた。

もういっそ全部室内飼育に移すか。
七夜月十六日
先月植え込んだ四種の睡蓮のうちの一つが、ついに花開く。白の多弁、中心に寄るにつれ赤味を帯びるこれは『ダーウィン』か。美しい。これまでやってきて良かった。色々報われたような心地。

ネオンテトラは春頃に琵琶湖で拾ってきた流木を削り、モスを撒きつけたものを沈めた空き水槽に。
アク抜きなどしていなかったので、木が浮くわ、水が茶色く濁るわ。『君の故郷アマゾンの水だー』と 馬鹿なことを心で呟きつつ手を動かす。
午後には水面に口をつけ立ち泳ぎを始めたので、酸欠かと、昨年水槽のおまけについてきた投げ込み式の濾過ポンプを追加。ポンプが動かず、モーター部分を分解したりなぞした。なお、構造が実に面白かった。

また、相変わらず産卵しない赤エビ水槽だが、はじめて脱皮の瞬間を目にすることが出来た。
一発で抜け出るとか、足先から髭まで綺麗に全部残るとかは、聞いていたし見知っていたが、脱皮瞬間を見た感想としては――エイリアンっぽい。
見たのが背中真上方向からだったせいもあるかもしれないが、抜け切って形が細部まではっきりしている脱皮後と違い、最中の脱皮殻は白い何かと化して足元にひしゃげており、その上(中?)でグググと体を異様に力ませる赤エビ一匹。見慣れぬアレは、やはり不可思議なものであった。


他、ネムは幸い蕾がまだ順調に開いてくれている。来年の楽しみに回さずすんで良かったとか。
早速オシロイバナが発芽してくれたが、隣りの家の柿の根元では今年も既に赤い季節の風物詩がとか。
蓮の水の減りは、どっかに穴があいてるんじゃなかろうかとか。
まあ、そんなこんな。本日も雑然と。
七夜月十五日追記
帰路、琵琶湖大橋延長にあるペットショップへ、水草を求めに行く。改装したとかで、二回の水生関連は全部撤去されていた。ガッテム。

ぶらり通りかかった八幡の花屋に入ってみる。ネムの小鉢があり、店員に『花をつけるまでやはり大分かかるものか』と尋ねるが、案の定五年云年そんな話になるらしい。

――自分以外にあまりそういう人を聞かないし、自分でも結構忘れていたりするのだが、ネムの木はとても素晴らしく花が美しいのである。
オジギソウの花を大きくしたような外観だが、美しさはこちらが遥かに増す。大きな綿花。その尖った先は綺麗な紅に染まっている。また、香りも凄い。甘い芳香なのだが、蒸し暑い初夏の日中、ふと意外なそれに誘われて行き、土手沿いに連なるネムの細かい葉の間に、幾つも花が浮かんでいる光景といったら。そしてそこで身を包むあの香りの強さ!


いつか自分の庭を……いや森を作るときには、満開のサルスベリを存分に楽しめるスペースと、ネムの大木を……そんな想いを胸に刻みつつ、水平移動すること二十数メートルほど。



問:一才ネムってなんですか?
答:早くから花をつける種類みたいですね。盆栽や鉢植えとして大人気です。

ついでに、手近にあった黒ポッドのシダ――シノブも購入。釣りシノブとして風情の良いのがこの時期出回っているが、風鈴は部屋にあるし、増やして自作もまた楽し、何より安いし。
で、そうなる。

ついでに覗いた隣のアヤハで、ネオンテトラが一匹三十円と餌メダカ並に安かったので、十匹ほど持ち帰り。空いていた水槽を調整して放り込むとする。


――――家を出る前は、浮かれた頭で睡蓮や水草を持ち帰らないよう気をつけていたのだが――――
七夜月十五日
朝より草津の『みずの森』へ。蓮と睡蓮を見に行く。
発電用の巨大風車がかなりの迫力でぐんぐん回っている下を通って、琵琶湖へ。蓮は西側――つまり普通皆が見物に回る方で、結構咲いていた。まだ時期が早めなせいか、赤が強い。また、強い風に合わせ、ふと独特の香りが鼻をくすぐることもあった。あれが蓮の香か?
蕾も多くあり、花のまばらな中心、まだほとんど見えない対岸を含めると、見頃はいよいよこれからか。

本年も熱中症確実な天気であり。本年も日傘や帽子を持参しなかった。男性用の良い日傘って、どこかにあったろうか?

睡蓮などをざっと見て回る。年に一回は来ているので、つまみつまみ、大分気楽に回った。
熱帯睡蓮のところでは、ムカゴ種の葉から増えつつあるのが手の届くところに幾つもあり、しかし自分なりに考え、一枚葉を失敬して帰ることはしなかった。このようなことは日頃が大切。積み重ねた人間性が、いざというときのアリバイ工作の武器に(略)。
屋外の温帯睡蓮は、重なり合って雲の様に群れる葉の中で咲く様が良かった。黄と白の花が双子のように並んだりして、これが鉢でなく池での睡蓮の楽しみ方かと、良いことを教わったように思う。日照について色々聞くが、あの様子では根元に光が当ることはそう重要ではなく、それよりも葉が広がるだけの広大な水面 の確保こそが肝要なようだ。

ヒメビシの葉も、また風情有り。庭木の矮性サルスベリの白い花や、群れ咲くアオバナなど愛でて回る。花の枯れかけたネムの木で足が止まる。先だけ赤みを帯びた綿花。ああ、夏はこの花の季節であったなと、ただその美しさに感じ入る。

一年振りに色々堪能した一時ではあったが、思うところも二つほど。
一つは販売されている睡蓮。昨年も思ったが、物が悪い。増やして売っているのではなく、普通の市販品だが、元気なく干乾びかけているよう。全く同じのが、ホームセンターで元気に安く並べてあることについて、何か思うところはないのだろうか。
もう一つは――こちらは不可抗力の部分も大きかろうが――睡蓮の名札。どれがどれか、良く解らない。 まあ大きな池に幾つも沈めて群れ咲かせているのだからしょうがないといえばしょうがないのだが……
睡蓮池の写真を添えて、一目で解るような親切なものもあるが、写真自体が古いのだろう。何となく解った前回に比べ、今回は当りのつけられる花の方が少なかった。


まあ、以上雑然と。色々堪能したし、勉強にもなった日。ただ、多分来年は足を運ばないような気がする。
次は自分の睡蓮池か、また別の名所を覗いてみたい。
七夜月十四日
朝一で出るつもりがしくじった。久々に好天であったというに。

睡蓮池は蛙の腰湯。熱帯のドーベンの花上がりこそ良いものの、温帯は乱暴に株分けしたのが久々に白い花を一つつけただけ。他四種は、一つがようやっと蕾を伸ばしてくれたもののそのまま既に数日。立ち往生かと悲しみを覚える。
まあ、葉は茂ってきたので日照を考えちょっと前に色々移動。白睡蓮の葉が蓮のように水面の上に立ち上がってきたとか、溢れ出す根に、もう少し鉢は大きくても良かったかもとか、思ったり。
蓮の方は立葉が実に盛んに伸び上がっている。で、『蓮は物凄く水を吸い上げるよー』の言葉通り、容器への水足しが欠かせない。面倒だが、これこそ睡蓮池に沈めにゃならんかもしれん。

そろそろ茹だったエビが死ぬ季節になってきた。人間も、溶けて果てるやもしれん。ジャスミン茶だけが涼で私を助けてくれる。
七夜月十一日
響く花火の音が何故か物悲しい。
七夜月十日
初夏に百円ショップダイソーで入手した陶製ビアグラスだか何だか。デザインに一目で惹かれ、安陶器にありがちな、手に取っての日常使いを余り考慮していない重みはむしろ安定に良しと、一輪挿しのつもりで昨日まで置いてあった。
当初の予定通り、昨夕、睡蓮――ドーベン――の蕾を二つ、手折って差す。意外と熱帯睡蓮は切り花に向いているの話通り、午前中、朝日の中でゆっくりと蕾を水平にくつろげ、昼頃には再び固く身を絞める。
上から見下ろすだけの屋外と違い、時に下から水平にと花を愛でられるこれは、結構当りだったようだ。
花が続くのはあと二日ほど、しかし睡蓮は次々に蕾をつけ、温帯も二つほど蕾が上がってきている。頼もしい蓮の立ち葉といい、明日からもまた楽しみだ。

発芽した朝顔の苗をプランターに移す。また時期遅れだが、どうも夏の景色にはこれが無いと……とオシロイバナの種を蒔く。
ちょっと気合を入れでもしない限り、必要な草花の種などせいぜい数個。そういう訳で現在部屋に余った種ボックスが存在する。
CO2削減が叫ばれるこの御時世、責任ある自覚を持った先進国の一個人として、役場の生垣にホウレンソウの種を蒔いたり、発芽させた朝顔や向日葵を勝手にそこらへんでど根性化させるべきだろうか。

グリーンテロリスト。三年後に『私の過ちだッ』と、農薬散布器改造の手製火炎放射器で帰化植物を焼いている自分の姿が目に浮かぶ。

――麻も、吸うより一度育ててみたいと思うようになった。これも歳か。
七夜月八日追記
突然、ジャスミンティーが飲みたくなったが、普通のスーパーには意外と置いていなかった。
安い葉を何とか入手。それなりに甘露、暑気払いに実に良い。
七夜月八日
ホームセンターで安い熱帯睡蓮を見かけ、迷うことしばし。

花を付け出したドーベンと違い、温帯睡蓮五種は葉を広げるのみ。花芽を掲げだしたものもあるが、まだ当分楽しめそうにはない。日光が足りないと仮定して、余裕を持った組み合わせに鉢の数を減らすべきか。

水上の葉、根元への日照を考え、ふと木を見て枝葉その構造の素晴らしさに気付く。確かにあれは進化した存在だ。

『レンタルマギカ』読了。第二部完。
某嬢は第二ヒロイン――三角関係を形成して、最後の方で引く役どころだとばかりに 思っていたが、なんとも素晴らしい魅せ具合。もう一人が裏での地味な玄人仕事に徹しているため、余計にそう思う。
これ、くっつかないと主人公が外道では。
七夜月六日
ニラの替わりに大葉を刻んで餃子を作る。紫蘇が薄く香ってさっぱりとした出来上がり。自分の好みである。

ここ数日、心身の劣化具合が酷い。運動不足か酒か、毎日何度もシャワーばかりで、きちんと湯船に沈んでないからか。まあ、暑いからでもあるが。

そういえば健康診断の結果が届いた。今の自分が掛かればまた数値は悪い方へと傾くのだろうが、見たところ意外な数字が並んでいる。
一昨年の初夏が余程悪かったようではあるが。年三キロほどのペースで体重は落ちていっているし、血圧が正常域に下がって、処々の肝機能関連数値が数十ずつ低下、中性脂肪に至っては一昨年の二百五十が今八十とは。

……運動しない方が人間は健康になるのかなァ。
七夜月四日
『BLACK BLOOD BROTHERS』読了。
吸血鬼の兄弟達の物語は確かに完結した。が、ここ数巻の怒涛の設定暴露で表題の「兄弟たち」があの二人ではなく、家族を愛し抜いたもう一方の兄弟たちを示しているように思えてならない。クライマックスの巻き返しも、それまでに主人公サイドが異常にパワーアップしているため勝って当たり前で、それにどう抗い、喰らい付き、散っていくかが見所で――――やっぱり描写の多さや美しさ、熱の入れようが主人公サイドと敵側で逆転していたかと思う。

物語はちゃんと纏められ、吸血鬼ものとして確かに今後に残るだろう作品であった。作者氏は後書きで次のシリーズが云々という話をしていたが、同じ後書きにあった次世代ものを息抜きに書くのもいいんじゃないかなとぼんやり思いつつ。
七夜月二日
鷺草を浮かべていた容器の水が底を尽いていた。昨夜の大雨でさても不可思議なことよと鷺草箱をどけてみれば、分厚い発泡スチロールを破って伸び上がる緑の葉。
……荒野の如く乾き切った庭の一角を何とかしようと、タンポポに似た黄色い花を植えられたのは母殿。そういう花を選んだのであろう、夏の酷暑に耐え、冬の積雪を越え、絶えることなく広がりを見せる緑の葉の間に黄色い花を開かせる。その生命力や、最早特定外来生物の域。除草剤で範囲区切っちゃ駄目か。

そういや夕方のTVで、琵琶湖で日本最大どころか世界記録新のブラックバスが釣れたとかやっていた。腹がふくれ、体型はまるで鮒のよう。ぶちゃけちょっと怖かった。

適当にやった鉢のドーベンも花芽をつけていた。明日明後日には咲くだろう。
七夜月一日
本、睡蓮、パソ。

『マルタ・サギーは〜』読了。終わってしまったことが憎らしい。どんな形であれ、もっと読みたい。短編集とか、特別番外編とか、この気合の入ったイラストで漫画とか。
悲しいでも嬉しいでも寂しいでもない。何というか、辛い。

睡蓮咲く。熱帯のドーベン。昨年、葉っぱのムカゴから育てたもので、どうも親株の大小より、冬越しの後、いかにちゃんと発芽させるかこそが大切な模様。
他の温帯睡蓮は生育こそ良いものの、まだ花芽をつけない。鉢の大きさや日照について、手を入れるべきかまた迷う。蓮は盛んに育ち、狭い水面を突き破るように立派な立ち葉が上がってきた。今年こそ三年目の正直となってくれるだろうか。
そういえばドーベンについて。バケツ睡蓮成功と、喝采をあげておく。
バケツに直植えという、気楽に睡蓮を楽しむやり方だが、実に上手く行った。 水深がどうの水量がどうの温度が云々という細かい部分もあろうが、鉢や池という場所と金を取るものを必要とせず、バケツ丸々一個用いる分、下手な鉢より余裕を持って育てられる。
形から入らずとも、ここはもっと気楽にいって良い部分だったようだ。
他の花でも可能か、これからが楽しみである。

それからパソコンが壊れた。立ち上がらず、また窓のどっかが壊れたかと思いきや、どうもHDを認識していない。不思議に思って覗いたところ、HD電源4ピンのうち一本が外れてどこかに消えていた。
当たり前だがこんな部品はなく、ハンダ鏝の出番となる。
小学校の延長コード自作体験教室、中学の技術、結構役に立っている。身につけ、何十年経とうと役に立つ学問。素晴らしいことだと、また変な改造箇所が増えコードだらけになったパソコンの内臓を眺めつつ。
以前、在りしことども


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