日々、在りしことども



燕去月三十一日
責任ある立場に就いて、初めて一皮剥けることもある。
だから、まだ諦めることなど何一つ無い――と言うべきなのだろうか?

私は覚えている。品性の低い野次ばかり飛ばしていた彼らのことを。選挙政権交代しか口にせず、自分達の不祥事からは逃げ回っていた連中のことを。
地に足付け、自らの空想を現実へと変えてみせるのか。やっぱり無理でしたと、誤魔化に走るのか、或いは妄想のまま、ネタとして笑うしかないような暴走を始めるのか。
全てこれからとはいえ、ああ溜息のこぼれる。

…………まあ、世界各国のように『敵を作って人を纏める』ことだけはしないで欲しい。
テロリスト、金持ち、既得権益、官僚、別政党、右翼左翼年代地縁。『あいつらが悪いんだ』と敵を設定し、憎悪させることで自己正当化を図る。安っぽい設定だが、何故かこのところ世界中で立場文化主義主張の区別無く、様々な政権で積極的に活用されている。
日本は第二次大戦の反動で、どんな言葉だろうが大声で主張されると反射的に眉に唾塗る風潮があった。
いいことだけではない。真面目な人々や正論を頭から馬鹿にするようなことも多々あったろう。しかし、あらゆるものを対等に扱い、こちらもあちらも同じ物差しで計ろうとする、そういう風土も出来たはずだ。
日本はまだ、マシなはず。どの主張を選んでも、『対抗勢力がこの前集団で拉致られ、全員分の壊れた死体が見つかった』なんて影は付いてこない。当たり前のようだが、現在も、国際社会じゃ結構普通で日常だ。

これから日本は大きく変わるのかもしれない。けど、日本人も自覚できていない素晴らしい貴重な『異常さ』を失うことだけは、望まない。

少々酒交じり。結局、政治なんて自分がやらないのなら幾らでも簡単賢しげに論じられる。やはり、話題としては良くない。
こういうのは、酒場でへべれけになって、『巨乳か貧乳か尻か!』とそういう話題と共に真剣に天下国家漢の主張として唾を飛ばしあい、次の朝に二日酔いで啜る冷味噌汁の旨さに負けて忘れるような、そういうものであるべきか。
燕去月三十日
雨が降らない。睡蓮や鉢植え関係に、ちと問題も出つつある。
燕去月二十九日
図書館へ本の返却。色々色々。

早い田では刈り取りどころか、脱穀した籾殻を田圃の中央に積み上げていた。
――この歳になってようやく思う。台風来たら、どうなんだろ。
燕去月二十八日
キーボードに水(酒)をやって悲鳴、分解清掃。同じ日に、こんどは滴るまで茶を浴びせ、分解清掃。 さらに三度目も起こしかけたが、その、老人体操だとか、握力を取り戻す云々とか、始めた方がいいんだろうか。
燕去月二十七日
夜、期日前投票に赴く。やはり投票用紙は必要であり、投票前に期日前投票の理由を紙面で答え、日時住所氏名を記すぐらいのものだった。
いきなりつまずく。
投票理由は五択、しかしそこに『その他』が無い。
やったことがないから、経験してみたかったという興味本位だったので、あらゆるアンケートで私に一番馴染み深い『その他』を探したのだが、それが無い。悩む私を見かねた職員氏の助言で、『当日、外出予定有り』に丸を記したのだが――やはりちゃんと次の日曜は出かけるべきだろうか。
まず候補者を、ついで政党を選び、帰る前になって最高裁判所裁判官のチェックに気付く。このところ、政権交代の話ばかり目にするので、そういうものがあるとすっかり忘れていた。
冤罪事件があり、ふざけた人権派弁護士がドラエモンを持ち出す昨今、故にこちらも良く考えて記述しようと考えていただけに、完全に失敗である。やっぱやめたと帰る訳にもいかず、次回への教訓を刻む。

そんなこんな。本日も適当乱文。まだ生きてます。
燕去月二十六日
朝に夜はすっかり寒く、長袖が手放せない時期になってきたかと思えば、また 日中の暑さが戻り、油断していた鉢が枯れ出す。
燕去月二十三か四か五日
前から、どうも自分のゴーヤ料理は幾ら下拵えしても十分に苦味が抜けず、気になっていた。白いワタを削り取ろうと、さっと下茹でしようと、いまいち苦味が残ってしまう。
今回、新しく試してみたレシピが、結構美味しく仕上がったので、記す。
薄切りにし、軽く下茹でしたゴーヤを、シーチキンと炒める。塩胡椒。
その上にスライスしたミョウガを乗せ、仕上げにレモン汁をかける。
これだけだが、結構食が進むものができた。栄養価も高いと思う。シーチキンの高カロリーだけが心配だが、まあ小食の人に向いていると前向きに結論。

まだ夏のうちに何度か試せるだろう。いいものに出会えた。
燕去月二十〜二日
そういえば、痛車とやらを見かけた。日をずらし、違うのを続けざまに。
今まで何やらペイントした車というのは目にした覚えがあったが、痛車という言葉が使われるようになってから、しかも地元でなど初めてのことで、何と言うか少し感動した。生で、初めて野生のサイやライオンを見るようなものか。

一台目は、ヤンキー改造車に気合を入れて文字や絵をペイントしてあるような 見かけで、キャラは誰どころか、元ネタがアニメかゲームか漫画かはたまたそれ以外かすら見当がつかず、結構ショックだった。見ないやらない読まないでも、漠然とぐらい には解るような、それが誰かが車に大きく描くぐらい愛されているものなら尚更、そんな風に考えていたのだが、よっぽど世間と断絶したか、はたまたマイナー嗜好に陥り過ぎたか。
二台目は、これは普通の車の左右後部ウインドに、それぞれ白線でなのはとフェイトを。シンプルであるから悪目立ちも違和感もなく、ごく自然に洒落たデザインとして成立していた。

実際目にして思うに、そう酷いものでもない気がする。アニメ絵の一般化で、日常街中で見かけても違和感や拒否感を唐突に覚えるようなことも無い。絵柄やデザインにしても綺麗なもの格好良いもの可愛いもの、色々ある。塗装(プリント?)技術も高く、古い映画看板のような変な癖偏りもない。イロモノが大きく取り上げられることもあるが、季節に服を換えるような感覚で、車の外装を個人の趣味好き好き・美的センスで気楽に飾り、その装いの御洒落を楽しむ、そんな文化のはしりとなる可能性すら抱いていよう。

少なくとも、車ののっぺりとした外観(どれも似たり寄ったりで、メーカーや車種が同じだと当然のことだがさらに区別のつかないアレ)を美しいと感じられない自分のような人間には、好きな花を飾るような感覚で、見苦しくなく楽しむ分にはいいんじゃないかと肯定的な評価となる。
――――車の後ろによく貼ってある○○大社のステッカー。あんな、何を考えてデザインして、さらにそれを貼りたがる者がいるのかという代物よりはよっぽど良いと、渋滞の中、前の車両を睨み付けた夏。
燕去月二十三日
夏前に買い足した四株の睡蓮、その三つ目、ローズアレーがついに花開く。
これで残るは一つ、白(黄)のシャーレーンストローンのみ――

……どう見てもダーウィンですがどうよ。

尖ってない葉、周囲は白、中心に向かい赤。昨日、隣りの池の別の鉢で咲いていた花である。
残してある写真付き苗カップは確かに四種なので、店でなくメーカーのミスだろうが……返金とか効くかねぇ……


地蔵盆の花、供えなどしつつの朝。
燕去月二十二日
十分水合わせしたはずなのに、水槽に放してすぐ動かなくなり、ビクビクンと最期に派手な痙攣して沈んでいくのは、目の前で見ていて何の手の打ち様も無いから、きつい。
あっちの水槽に移した白メダカの十匹近い稚魚は全滅しましたし、こっちに残しておいた一匹も生餌にされてしまったみたいですし、今更ながらあとはライトを買って本来の水草水槽一筋で行こうかとか思う。何度も呟いていることではあるが。

……ウィローモスだけの水草水槽を作りたかった。今、一年を経て枯れてないだけでうんまり育っていない。光量の問題だろうとは思う。嗚呼、ふっさふさの、もっさもさ。


出る、期日前投票とやらを一度してみたくて、役場へ。「きじつまえ」ではなく「きじつぜん」という呼称に違和感を覚えるが、「きじつあと」「きじつご」を考えると そうおかしなものでもないのかと納得しつつ、いざ。
そこで目にする、『八月三十日は選挙の日です。皆さん必ず』云々の表示。
――あー、明日じゃなかったんだ。
やっと勘違いに気付く。自分の時間感覚は大体こういう大幅目盛り。で、もう少しぎりぎりまで各党の声を聞いてからでもいいかと帰宅。

夕食は、見かけたチャンポンレシピに挑戦。具沢山、カマボコやちくわ入り、スープは和風ベースで牛乳含。結構、簡単であった。もっと細い中華麺を選び、コシを残せば、更に美味しくなるだろう。炒めた後、スープで具ごと煮るおりに、如何に歯応えを残すかが今後注意点。


地蔵盆、ということで各地で子供が群れ泳いでいた日。
燕去月二十、二十一日
朝はすっかり冷え込み、寒い。
ただ、眠りについて最初の数時間はどうも嫌な汗まみれになる。

『家族ゲーム』読了。
一巻の時点ではゲーム好きな家族の話だったのに、今じゃすっかり恋愛に比重が。
『放課後プレイ』といい、掲載元の四コマ雑誌はこちらの方に大きく舵を切っているのだろうか。もしそうなら、片っ端から読み耽るしかないのだが。
燕去月十九日
サルスベリ、枯れてきたのでちゃんと鉢に植える。ネム、最後の蕾が綻ぶ。
盆過ぎて水も冷たくなってきたというのに、温帯睡蓮の蕾が首をもたげ始める。
案外、夏ではなく春過ぎ秋前の花なんだろうか。
鷺草はぽつぽつと飛んでいる。根元には種から膨らみつつある芽芋。

引き出しと床の隙間に硬貨が滑り込んでいた。白くて、結構重い。百円玉でも嬉しい。でも五百円玉かも知れない。
折った紙で掻き出せたのは、どこか朽ちた一元硬貨。

……こんな理由で中国を憎んで良いんだろうか。
燕去月十八日
グラスキャットが全滅した。

しばらく前に高温でエビが消えていたのだが、そのせいで餌の食べ残しが処理されず、 今朝、この数時間で一気に落ちた可能性が高い。ヒゲが溶けたりといった前兆も無く、まだ透明さの残る姿は残念無念。

……自分は魚飼う能力が低いんだろうかとか、こういうところから人は止めていくんだろうなと思ったり。

追:夜には一気に水質悪化。メダカも落ちる落ちる。
燕去月十五日
白い鷺、二羽。飛ぶ。

盆というわけで早朝より墓参り。途中、知らぬ間に土手の並木に何本も増やされていたサルスベリを見て、『何故全部赤?』と首を捻る。紫とは言わぬが、白とて十分美しいではないか。
墓地では、うちの近くで墓石を新調した家があったらしく、やけに黒光る端の尖ったでっかいのが一つ、立っていた。
口を半開きにして見上げている自分の前で、その墓石に花を挿していく両親。
『へ?』
『――あれ、去年来てなかった?』
なにやら叔父叔母が気合を入れて建てたらしい。

午後、鷺草のお裾分け。一つは祖父母に。一つは図書館に。――勤めている家人に、ちっちゃい鉢一つ寄越せと奪われたが故。
残りは玄関にでも飾れるよう、平皿仕立てにしたが、このまま屋外でも構わない気がする。犬の散歩などでそこそこ通る人の目を楽しませるのも、また良かろう。

最後に、近所のケーキ屋で旨そうなアップルパイを見かけたと記して、本日終わる。
燕去月十四日
夜はすっかり寒くなった。秋としか思えない。
ただ、室内は常時熱帯である。どんな風に寝ても嫌な汗が流れ続ける。それでいて、布団を深く被ったり厚着した方が気持ちが良い。扇風機漬けで体調が崩れかけているのだろうか。

追記:……また粉塵爆発の描写を見かけたが、石炭粉でもない限り、自然の石や砂で 爆発するわけはないと思うのだ。可燃物ではないのだから。
自分の理解が間違っているのか。たまたま例外を目にしただけか。
――――人の筋肉や神経も、電流が流れているというより、イオンがぽっこぽっこ隣りのレセプターに流れていって嵌るような仕組みだったような。ふむ、勉強が足りないか。
燕去月十三日
水槽にてカイミジンコが増殖。普通のミジンコは全滅したというのに。不快。

現時点で抱卵中のサクランボ赤蝦は三匹だが、一つの卵が減っていた。脱卵か、それとも――と注意していたところ、本日複数の稚エビを確認する。めでたい。
これで、うんざりするほどレッドチェリーシュリンプを増やすという適当な野望に、また一歩近付いた。最終的には、グラスキャットやメダカと混泳させて、つままれても『まいっか』で済ませられる数に。(まあ、今回のが全部孵化したらそれでもう達成されてしまうだろうが)

ただ、稚絵エビの数が今一少ない。小さすぎて見つからないだけか、先日小メダカを移したのが時遅く、既に生餌になっていたのか。
一部抱卵個体を別容器に移してみようか、適当に考えつつ。
燕去月十二日
ネムはまだ咲く。が、もう後少しか。とても嬉しい。お礼肥と共に、大鉢へ移すとしよう。
蓮は、葉の勢いが落ちてきた。もう花は無理だろう。涼しげな葉だけでも楽しんだといえなくはないが、やはり死ぬまでに一度は花を愛でてみたい。
鷺草はこのところ一気に伸ばした身を、そろそろほぐしつつある。温帯睡蓮は今一、これからまた咲く時期に入るはずなのだが。
鉢の藤はどれもこれも非常に良く育っている。棚に仕立てるつもりはないので、ばっつんばっつん鋏で切っていいものだろうか。蔦が周囲に絡み始めている。

他、放置しているミナミヌマエビは結構増えているみたいで、水槽のミナミが死んでいたのは三十度越えの水温のせいか、あとマツモ様がぼろぼろに。屋外白メダカ確かめみたら光が居た。全メダカを水槽に移したら光とか半メダカがもっと見つかるやも知れん云々省略。

本日雑然と植物近況。
燕去月十一日
台風は遠く。朝方、長く揺れる地震。

誘われ、ラーメンを食いに出る。丁度、そんな気分であり、渡りに船。
長浜の某店にゆき、めったに足を伸ばさぬからと二つ注文する。悪くはなかった。が。メニューが替わっており、食べたかった柚子風味のものは無く、初めて訪れた前回ほどの感動は得られなかった。
立ち止まらず、怖れず、常に前へと変革を重ねてゆこうとする姿勢は素晴らしいものだ。しかし、そうするとまあこういうことも起こりうる。
ラーメンは一期一会。長浜の美味しかった味噌ラーメンや、河瀬の牛筋ラーメンを思い出しながら、そんな風に心の中で〆てみる。――何でラーメン屋ってあんなぽこぽこ潰れていくんだろう?


帰路、某氏の新居に手土産も持たずお邪魔する。奥方氏にお会いするのは結婚式以来だが、眼鏡だったせいか、どうも初見という感じがした。
新婚旅行の話や、最近始めた投網の話、旦那は解ってくれないとか、ジャンクフード控えろとか、色々話を聞く。似たもの夫婦が毎日喧嘩しているような感じであった。――どこまで楽しく、仲良く、かは知らん。
土産に、ペルーのチョコレートを二箱頂き、帰宅。最初は当然のように満面の笑顔で三箱詰まれたのだが、遠慮した。……どんな風に見られたんだろう。まあ、チョコレートは凝りはしないものの、結構好きなものの一つなので、正直在り難いが。

まあ、そんな一日。本日以上。
燕去月十日:夜
台風が近付いているらしい。各地で本年流行の豪雨の被害を聞くが、現在この付近に気配は無い。何時もと同じどころかほぼ無風。せいぜい、少しの雨がぱらつく程度。
よって、何にもしていない。

今日、ようやく花が咲いたサルスベリ――パカン、と内側から弾けた形。よくよく目を近づけ構成を眺めると、意外にへんちくりんな造りの花である――も、ネットに絡ませた朝顔も、蕾が上下に重なりだした鷺草も、未だ毎日楽しませてくれるネムも、どれ一つ取り込んでないし、倒してない。

多分大丈夫だと思うのだが、さてこの楽観がどのような結果をもたらすのか。

燕去月十日
『境界線上のホライゾン U 上下』読了。

面白かった素晴らしかった満足したし納得した。が、皆突っ込んでいることを、自分も言わずにはいられない。分厚過ぎる、と。
ライトノベル、新シリーズ、第二巻――なら、普通三百数十ページ前後じゃないのか。多くて四〜六百ページだろう。なのに、何故。総計二千数十ページも書き上げて、たった二つに分けたがる。

だらだら書き繋げるのではなく、○々編と区切り良くUとしたいのかもしれないが、なら○々編TUVでも上中下でも良かろうに。読んでいる最中、腕が逞しくなってゆくのが実感できた。読みながら、本の背が割れないか、大きな古い辞書辞典以外でここまで切実に心配したのは初めてだ。
こういうのを、読みやすいサイズに分冊して装丁しなおすのが古い時代の本のあり方であり、金を持った人間の正しい楽しみ方なんだと、ふと書物の歴史に想いを馳せなどしたり。

閑話休題。

内容自体に問題はなし。相変わらず、いかれた連中が縦横無尽、敵も味方も好き勝手する楽しい話。こなれ続けている絵師殿の挿絵も良く、あーミトツダイラとか女王とかいいなァと、つい色絵をめくっては見惚れている。
ただこれ、ひょっとして裏のテーマは日本漫遊嫁取り物語なんだろうか。
一巻、というか物語の大きな目的からしてそうだし、今回は敵も味方もカップルがくっついて、既にあった夫婦や恋人達がその絆を深めていて、で・このペースでいくと 日本を一通り回り切った頃にはクラスメイトの中で独り者の方が珍しいということに なるだろうし……

あー、けど完結まで十年近く掛かりそうなことの方を先に心配すべきか。
量・質に不満はないが、ライトノベルで大河やられて、最後まで自分が生きていられるかどうか不安になる日がくるとはなァ。最終巻までに『読書中に割れる文庫本』が出て、新聞沙汰になりそうな気もするし。


まあ、適当に雑打乱文。ぐちゃぐちゃなんか書いているより、今は何度も読み返して楽しみたい。
燕去月八日
水槽の白メダカ稚魚の中に背鱗の光るものが居た。背鰭も、腹鰭同様に大きい。 どうやら光メダカのようだ。
この白達からはダルマも以前二匹ほど出ている。そちらは温度の関係かと考えていたが、このぶんだと観賞用としてこれまで色々掛け合わされてきたのが、遺伝子の中に残っているようだ。
楽しみであり、得だとも思うが、ただごく稀に背骨の歪んだものが出てくるのは悲し。
燕去月六日
昨夜、レッドチェリーシュリンプの雄が飛び交っていたので、さては抱卵の舞かと期待したところ、本日無事、卵持ちの数が増えているのを確認した。いや、良かった。

また、暑いので氷水を入れたグラスを横に置いていたのだが、寝ている間にひっくり返したらしく、とある一部が水浸し。ざっと拭ったところ、数時間後にはこの暑気で跡も無く乾いていた。多分、良かった。

エビチリの新しいレシピを試してみたところ、味的には満足のゆくものが出来た。自分内で採用決定。ただ、そんなことをしていたため、支度していた夕食が完全に夜食と化した。これは、きっと、良くなかった。l
燕去月五日追記
月の異称だが、うちは本当に適当にやっている。旧暦と西暦は半月から一月ほど違う――今の方が早い。だから梅雨に七夕やったりしている――が故に季節に合わせ大概前月の呼称を用いている――――ようにみせて、一月端月、二月如月、七月七夜月、十一月雪待月、と普通に正しい呼称を用いていたりもする。まあ、花や鳥や、自然現象で直截に呼称したものは、実際に感じる季節感に合わせてずらしている、ということになろうか。
で、本日。七月を『文披月 (ふみひらづき)』『書披月 (ふみひろげづき)』とも呼ぶと知った。どうも七夕関係の書道イベントにちなむようだが、暑中見舞いのため、古い葉書をひっくり返したりするこの時期に、実に似つかわしい良い言葉だと、思わず感じ入ったが故、今日此処に記すこととする。

未だ、思いがけず良いものに出会うことがある。有り難いことだ。

以上。九月の小田刈月は、最近の早稲に合っているんじゃなかろうかなどと、正確な意味語源を調べようともせず、呟きつつ。
燕去月五日
暑いから、何となく、頭がボォとなって、誰でもどうでもよかった。
理由としては最低の部類である。しかし、空腹や睡眠不足、疲労、熱気で人の意識が朦朧とするのは 化学反応で稼動する生物として当たり前のことであり、その否定は根性さえあれば何でもと高い所から羽ばたき飛び降り関係各所に迷惑を掛ける馬鹿と同様の、つまりは義務教育レベルの知識が身に付いていない証左である。

つまりは、江戸の記録に残る夏の『通り悪魔』なる怪異も、また道理かと自分的に納得しやすい処に繋げ、さて本日の事。

切手を舐めに出掛け、ついでに能登川の花屋を覗く。嗚呼、睡蓮が咲いている。鉢が小さい割りに花があるが、浅めにして水温を上げやすくするのがコツだろうか。初めてちゃんと見たが、姫睡蓮も存外悪くない。黄は色として好みではないけれど、睡蓮でだけは別だ。実に映えて良い色合い――……そういえば、うちにも黄系統が一つあったはず。まだ咲いてないが。ああ、濃い赤色も良いね。それも確かうちにあったよ。咲いてないけど。白は基本だね。随分前に一度見たっきりだ。株分けして三鉢もあるのに。ダーウィン? 一度だけ咲きました。とても綺麗だったな。コロラド? まあ大き目の鉢で沈めた御蔭か、二つほど咲いたっけ。結局、馬鹿みたいに毎日複数の花を付けてくれるのはドーベンだけ。蓮も葉っぱだけが見事で、花は今年も三年目の不正直。

嫌な気分が増してきたので、買い増しはせず、八幡の花屋へ。ちと遠いし、かなり日差しが辛いが、ネムと幸福な出会いがかなったあそこなら――とアクセル。途中、今最近、気になっているサルスベリの花を探す。赤系を好きな人が多いようだ。家の玄関先などに一本、ぱらぱらと足元の蔭に色を落としている。
店では、今日は残念ながら一目で惹かれるような良い出会いは無かった。ま、これも機会と季節外れは承知でサルスベリの種について問う。若い仁が汗を拭いつつ、奥で調べること数分。分厚いパンフレットを数社分抱えて戻り、――数年前に○○で扱っていたこともあったようですが……。嗚呼。手間をお掛けした。やはりもう今は苗でということか、と呟けば、苗も最近はちょっと……と。

あ、うん。流行廃りってあるよね。最中だと、とても手に入りやすくて、近所とか格安とか種類とかレアとか特集とか至れり尽くせりだけど、過ぎるとごく基本のサイズ違い色違いですら入手困難なことって。時期外れ、季節外れでもいいか。八月に、節分豆やバレンタイングッツを買い求めるが如く――

そういえば、道すがら、サルスベリの花が咲いていた。僕の好きな、白以外の、赤やピンクばっかりが。いっぱい、いっぱい、花はあるのに、ぼくのすきな白いのは、いっぽん、たったのいっぽんだけ……

多分、水が足りてなかったんだと思う。かなり早朝に食事をとったきりだから、糖分も不足していたはず。暑さは言うに及ばず、脆弱な心を刺激し続ける、とても弱くてしかし不快な被害妄想未満の悪意。
嗚呼、こうして通り悪魔に憑かれるのか。しかし平常心で自らを律してみせた古の侍が如き矜持などこの身に備わっていようはずもなく、辛きを零す友も、声を届ける携帯も、共に持ち合わせなどしていない我が行く末は、愚か愚か、愚考行う余地すら無く、手足は操られるかのように朦朧と動き、結果一刻足りとも経ることなく――

何か逆方向のホームセンターで白サルスベリの鉢を抱え笑っている私がいましたことよ。

一つも花開かず、思いっきり蕾がなっているのを確保。誰かにとられる前で良かった。
一才ものでは無い気がする。接木でもなく、結構土台は太い。というか全体的にでかい。先日、ヒコバエ、はちょっと枯れかけているようなので、一層まあ満足。

植え替えは明日以降とする。ところでこの夏、週一以上のペースで鉢植えが増えていっている。そろそろ自分でも自覚し始めた。ちょっと、なんかおかしい。かもしれん。
夏の暑さが悪いのか。



室内メダカ、また一落ち。傾向としては、曇って蒸した日の午後遅くか。
酸素は大丈夫なはずだし、熱帯魚の透明ナマズが元気ということは温度がどうこうという問題か。
……あ、でも一匹、斜め四十五度に傾いて動いているヤバ気なのいたしなぁ。

グラスキャット、夏場だけでも屋外睡蓮池で大量に飼ったら繁殖しないかなぁと、妄想している夏の夜。
燕去月四日
ネムは毎日のように花をつける。手に入れて大正解。また、あの花屋覗きにいこう。

寝る前、枕元に飲み物を用意する。汗だくのままふと目を覚まし、引っ掴んで水分補給するとまた寝る。 以下繰り返し。そんなここ半月ほど。
室温がどうのではなく、一度生活習慣に梃入れが必要なのだと思う。

野山を巡って植物収集でもやろうか。――自然環境に対する結構な犯罪という気もするが。
燕去月三日
一才サルスベリですか。種から増えてその夏には楽しめるんですか。世界は素敵ですね。先人は偉大ですね。くそ、冬に知っていれば裏庭の一角を私のものにできたのにッ!!

梅雨も明けたというので鷺草を昼過ぎには日陰になる辺りへ移動。葉の増えてきたオシロイバナをプランターへ移植。初夏に入手し、上手く根付いたと思っていた青い花の咲くものの葉が枯れてきたのでこれも日陰へ。朝顔は下から咲き、睡蓮は鉢の交換と追肥を考える。

マツモ様と呼ばれる水草がある。水道水の塩素にこそ弱いものの、浮かべているだけで増え、どんどん増え、これでもかと増えて恐怖すら与え、畏怖の果てにその生命力が信仰へと昇華し、マツモ『様』と称される。そんな、ぱっと見は爽やかで落ち着く、素敵な水草である。
昨年、入手した。あまり増えず、かと思えばちぎって捨てたのが屋外の睡蓮鉢を埋め尽くし、琵琶湖で拾ってきたのを慎重に増やしてみたら、この初夏には何時の間にか消滅していた――蓮の容器に入れたんだっけか? ――そんな奴だ。透明たなびきナマズを入手した際、一本だけ買い求めてみた。一緒に水槽へ放り込んでみたが、現在、日にセンチ単位で目に見えて伸びている。
もっともっさりいったら、切り分けて別の容器に移しても良い。

マツモ様と呼ばれる水草がある。マツモではない。敬意を込め、我々は呼ぶのだ。マツモ様、と。
燕去月二日
葉書を求めがてら、教えて頂いたネムを見に出る。確かに土手で大きい木が風に揺れていた。
残念ながら香りは楽しめなかったが、サヤエンドウのような種が幾つもぶら下がっているのを見ることは出来た。 やはり、ネムは川べりこそが似合うか。

帰路、通り掛かった能登川の花屋に寄る。昨夏、隣りの敷地に沢山の睡蓮を並べていたが、値札がついていないので趣味の類かと判じていた店だ。今年も小さいが、沢山の睡蓮が育てられている。
売り物かと一応問うてみたら、千円ぐらいからと意外にも応えがきた。結構種類もあるようで、黄や青など一つ二つ増やしたくもあるのだが、現在温帯五種を上手く育てられていない身としては、どこに沈める気だと自分に突っ込まざるをえない。
盆過ぎ、涼しくなった残暑からもう一咲き……と指を咥え唸りつつ帰る。

なお、自転車三人組と三度ほど擦れ違った。ひょっとすると、同一。物理的に不可能ではないが、あんなコースを結んで軽快に走り続ける理由が浮かばん。何か、三人一組自転車で参加するようなイベントでもあったのだろうか。
燕去月一日
再びコロラドが花開く。しかし、赤二種と白一種、ダーウィンに蓮は葉を広げるのみ。
肥料が足りぬのか、鉢が小さいのか。 うになった。これも歳か。
以前、在りしことども


端月/ 如月/ 梅香月/ 桜月/ 鳥来月/ 雨月/ 七夜月/
端月/ 如月/ 梅香月/ 桜月/ 鳥来月/ 雨月/ 七夜月/ 燕去月/ 月見月/ 紅葉月/ 雪待月/ 雪見月/
端月/ 如月/ 梅香月/ 桜月/ 鳥来月/ 雨月/ 七夜月/ 燕去月/ 月見月/ 紅葉月/ 雪待月/ 雪見月/
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