日々、在りしことども



如月二十八日
日本全国津波の日。津波と聞いてまず思いつく一気に来るものだけでなく、 じわじわ水位が上がり続けるタイプ、より高い第二波第三波の到達など、 意外な勉強になった。

あと、日本各地でサイレンと共に次々閉められる防潮堤って、冷静に考えるとSFの 如き仕組みではないかと思う。どういう規模で既にこの国土は改造済みなのだろう?
如月二十五日
柚子酒の仕込みに使った皮や実を再利用し、柚子ジャムを作る。
粘り気を出すペクチンを、種や薄皮を茹でる事で得ようとしたが、 茹で時間の問題か、はたまた砂糖少なめで仕上げたためか、 余りジャムらしくないあっさり砂糖煮のような感じになった。 まあ、食す分には問題なかろう。

某町のダム公園へ行く。マンサクの花が見られるような情報があったためだが、 花など一輪の椿の外に何も無く、延々とダムの周囲を数キロ歩いて終わる。
山藤の季節なら、また赴きもあったろうに。

本日も極めて温し。
如月二十四日

如月二十三日
睡蓮の植え替え。バテた。
以下それぞれ簡略に。

全般:
沈めるための大容器の掃除に手間取る。エビやメダカといった生体の取出しがメンドイ。 あと、知らぬ間にミナミヌマエビ大増殖。……水草、ろくに食わぬくせに。
穴開き容器に袋を入れて使っているものがあり、そちらも張り直す。

温帯睡蓮:
花はともかく、根っこと葉っぱだけは繁茂しただけあり、山葵にも似た地下茎が丸々 とよく育っていた。新芽の出ている方が数センチあればいいが、株分けどころか後二セットは作れそうで、どうすれば良いか迷う。(結局、プランターに入れなかったのは水に沈めるだけ沈めて保管することにした。温かくなって生育が進むようなら、またその時にバケツ睡蓮とプランター睡蓮の可能性について挑んでみたい)
ミニプランターに植え付け、逆さにした植木鉢を土台に、池容器に浅く据えつけてみた。
残念ながら意外と場所をとって四つしか沈められず、残り二つはそのままプランター池に。なら、最初からプランター直植えでいいじゃねぇかと、一人自分相手に憤る。

熱帯睡蓮:
掘り出して、株だけまとめて水に沈める。
発芽してから植えれば良いし、植えなくても浮いたまま咲くし、発芽しなくても室内水槽のムカゴ株を暑くなってから適当にちょいちょいとやれば、それで花は咲く。
――あんまりにもお手軽で幾らでも増えるため、すっかり有り難味の無くなってしまったドーベン。良い花なんだが。

蓮:
昨年花が咲かないのは容器が小さかったからだ。そう結論付けて、小さい方の池容器を 今年は丸々直植え容器に使ってみた。
が、その植え替え作業中、一つの事実が判明。昨年の葉蓮だが、容器に袋を敷き、その中に赤玉土と肥料と共に入れておいたのだが、成長して袋を突き破り、そのまま袋と容器の間、土も肥料も隙間すらない場所を何週も這い回って根を広げていたのだ。
……おかしい。なら、あの葉はどうやって伸びていたのだとか。では、ちゃんと育てればこの広さでも咲こうかとか。首を傾げて、結局その容器と池の両方で挑戦することに。そういえば昨年も、元々この容器の蓮が枯れ、捨てたつもりのバケツ蓮の調子が良かったため、土ごと入れ替えたのだった。まあ、備えておいて損はなかろう。


以上、こうやって書き上げると簡単だが、本当にバテた。明日、もうちょっと後始末をして終わる。
先日の植木といい、好きでやってはいるが、この数日間で赤玉土を何リットル使ったか、 冷静に振り返りたくない。節約のため、睡蓮の方は綺麗な用土を一部再利用してはいるが、普通は八十リットルも順調に新しく使い切るまい。


手間の掛からぬ朝顔が、何やら無性に愛おしくなった夜。
如月二十二日
四月の暖。そして昨日からくしゃみ。とうとう時期が来たらしい。

睡蓮植え替え――の下準備だけ。 熱帯睡蓮、温帯睡蓮、蓮、それぞれ微妙に植え替え時期はずれる。 一般的に三月から桜が終わった頃と、案外遅めの、確実に水温が上がった時期が推奨されるが、このところの四月並の気温、そしてあと一二週間は暖かい日が続くとの情報に、 思い立ってそのままとなる。

その中でも温帯睡蓮だが、葉は茂るものの花付きがどうも良くなかったため、今回は一つ頭を捻ってみた。
普通に下へ横へと広がる熱帯睡蓮の根っこと違い、温帯睡蓮は容器端に斜めに寝かせた株が大量の根でずずいと動く。植え込み容器、水面の深さ広さ、共に温帯睡蓮は『浅くて構わないから広く』だが、ここから一つ思いついてみた。単純な連想だが、植え込み容器は横長が良いんじゃないか、と。
ペットボトルの加工から、安プランターに直植えまで考えた。そして、ネットにはやはり先達がおられ、普通のプランターや短めのプランターをスリムに加工し、植え込み容器にしてみたとあった。
全面的に頷けた。私は加工までする気はなかったが、百円ショップにて、細めのミニプランターを複数入手。植え付け容器を浅鉢から変えてみることにし、さて残りは明日。
如月二十一日
サイレンの響きで目を覚ます。さては雨が雪に変わって、除雪のお知らせかと 時計を見れば、まだ丑三ツ。次いで、所々遠くから聞こえ始めた音に慌ててカーテンをめくれば、向こうで大きく昇り立つ火。
あれは酒蔵の方角か。家一軒、全焼しているに違いないものが見える。

あの付近では数年に一度、火事がある。以前行った居酒屋も近い。何の人死に もない小屋や公共施設でも燃えていればいいが。


選挙。前回と比較するに、色々と殺気立ってない選挙は実に良いものだ。
火事の人身被害は無かったよう。
好天の下、赴いた農薬コーナーでじっと悩む。石灰硫黄剤、使うべきか否か。
如月二十日
花木の植え付け。残りの蕾もかなりほころんできた素心蝋梅、仙台紅枝垂八重桜、 常盤マンサクの赤葉紅花、地植えしたが元気が無いので掘り上げた源平枝垂花桃、 そして苗を買ってきた蕾だらけのハゴロモジャスミン(季節的に早過ぎたか?)を、 それぞれ鉢に。家にあった植木用の大鉢を、他の都合も考えず、独占す。
源平枝垂れは、これまで植えていた穴の深さや大きさにも問題はあったが、他にも 根元の接木テープを取り忘れそのままにしていたため、食い込んで成長を阻害していたことが判明。削るように、引き抜くようにして、食い込んだ奥から外す。嗚呼、何で今の今まで気付かなんだか。今回ので、元気になって欲しいと願う。

藤、実生のはそろそろ花を見せてくれてもいい気もするが、鉢を増やし過ぎて幾つ残っているのか、正確に把握していない。
屋外の苔玉が一つ、剥がれつつある。凍って割れでもしたか?
赤玉土小粒に葉土を混ぜつつしみじみと思ったのだが、肥料も土も特売の折りに買い溜めておかねばかなり大変になる。

以上羅列覚え書き、梅の白が見えるようになってきた時期に。
如月十九日
安く花木を入手する。が、幾度も通っては入荷日などを問うていた店とは違うところだったため、そこは少々心が痛む。

そちらにも行くには行ったのだが、正直三メートル越えの樹というものを甘く見ていた。
値段は子供でも手が出る範囲だが、あんな見上げねばならぬものを植えた日には、電線に引っかかるし、隣家の敷地や道路に枝が云々という、まあ、率直に判じて家庭の小さな庭に植えるようなものでは根本的になかった。
あと、紅枝垂れ桜の八重が欲しかったのだが、結局確認できたのは仙台の紅枝垂れ、までであって、八重か否かは外れそうな博打の気配が濃く漂っていたので、これも手控える結果の一因となった。

次いで、八幡の花屋へ。全品一割引きというセールと、探していたトキワマンサクの 苗を前に、はしゃぐ。結構数があり、白花や青葉赤葉、安苗から雪洞のように仕立ててあるもの、数万の大きい木まで置いていた。選んだのは最安の赤葉を一苗。木が花で埋まるように咲くという姿が、今から楽しみで仕方がない。これと仙台紅枝垂れ八重桜の安苗、タマリュウ、ジャスミンが本日の収穫物。
店頭では雪割草の特集をしていたが、小さく可憐なうえ、とても多様に花の種類があり、成程日本人が嵌りそうな風情であった。ただ、良いなと素直に感じた多弁の白く小さい ものが四桁、或いは五桁近かったため、これが三桁台で普及するまでは手を出すこともないであろう。そして、こちらにも紅白キメラの花があったが、梅にありサツキにもあり、 結構普通に多いのかもしれない。コレクションとして集め、季節で途切れぬようしてみるのもまた一興か。

帰宅後、ローズマリーの発根がないのは、二十数度という最適温度ではない冬だから。→そういえば室内にそれで保たれている温室(常時水没)があったか。→ではそちらへ。
という流れで何本かを水槽に放り込む作業を行う。新たに皮を削いで、葉を落とし、 吊るし沈めた容器へ挿す。水槽の上部がいろんな物で埋まってきたとか、御蔭で夜の遮光保温蓋に隙間が出てきたとかあるが、まあ些細なこと、と流せるぐらいに思考は適当に 働く。


なお、本日某店で赤花トキワマンサクを求めたところ、普通のマンサク赤の前に案内される。『マンサクっていったら黄色でしょう。だから赤いこれは多分トキワだと思うんだけど、書いてないねぇ……』そう、落葉しきった木を前に常葉だとのたまう店員氏。先日別店の 『蝋梅と黄梅は同じですよ、エエ』といい、仕方ないといえば仕方ないのかもしれないが、花屋の店員とはいえ全ての植物に通じている訳ではない、というか結構豪快な間違いを断言してくれる。
信じられるのがネットを巡って、様々なところを覗き、自分なりに纏めた結果だとは、 また容易く批判されそうだが、大切なのは己でやる事前の下調べという点では間違っておらず、そういう意味ではネットや携帯が身近な現代は実に便利である。


明日から何処にどの木をどのように配置するか、そんな幸せなことを考えつつ。
如月十八日
畑の小松菜を収穫する。『これ、全部蒔いといて』と言われ、狭い場所に二三百粒ほどばら撒き、挙句間引きを行わなかったもの。
背は低く密集していたが、みっしり詰まっており、虫食いもそうなく、つまるところ思っていたほど悪い出来ではなかった。
お浸し用の分だけとって戻る。これでしばらく、野菜不足の不安は消えるだろう。
如月十七日
浅く切った指の方はほぼくっつき、水仕事も素手で出来るようになった。
水槽の整理。エビは抱卵しないし、ウィローモスは剥がれて伸びず、生体が落ちていないことだけが救い。
朝方、少し雪。戻った寒さの御蔭か、蝋梅の蕾がまた幾つか緩む。
ローズマリーは未だ発根せず。

地元にて選挙が始まる。合併直後で殺気だち、最終的に公共施設焼き討ちまでいった前回とはうって変わり、やる気が薄い。下手すれば定員割れしかけていたためか、名前を連呼する公害車もやけに控えめというか大人しい。
まあ、現職が引退して新人が名乗り出ているようだから、全く代わり映えせんというわけでもないだろうが。
変化することに論難をつけ、変わらぬことに不満を零す。まっこと、小人の政論よ。
如月十四日
死んでしまえと心から思った。
テフロン加工してあるくせに、その上、油たっぷり引いて十分過熱したにも関わらず、 焦げ付いて包んだ餃子腹を破くようなフライパンは、苦しみながら死んでいけと。

やけに暖かかったり、不意に寒さが戻ったりするこの頃。無機物に本物の憎悪を抱いたりしつつも、私は元気です。
如月十三日
ディスプレイ届く。慣れてないというか、いまいち色が合わず、猫背気味に覗き見ている。

マンサクだが、トキワマンサクの赤がなかなか良いようだ。常緑で、春先に赤い花を わっとつける。垣根にと勧められているが、まずは一つを大きく育ててみたい。 ――もっとも、私が最初に欲しがっていたのは、黄色を思い浮かべる普通のマンサクの、渋い赤ものだったはずだ。盆栽用に、と。

……なんでこんなに最近、樹が欲しいのか?
如月十二日
ローズマリー未だ発根せず。屋外の挿し木だが、先日の雪の重みで次々倒れたよう。 全滅だろうか……幾つかの盆栽と、日々膨らむ源平枝垂れの蕾が癒しである。

穴を掘る。直植えしたもう一本の源平の育ちが余りに悪いのと、逆に鉢の育ち過ぎた 源平の今後を考えて、掘り起こしを兼ねた準備としての深い穴。
ただ、他に今年は仙台紅八重枝垂れ桜の大苗を入手する予定で、この前の蝋梅の一件があり、マンサクマンサク呟いてまだ諦めていないことだから、実際どうするかはまだちょっと未定。藤の植え替えと針金かけのこともあるし、サルスベリとネムは放っておいても大丈夫だろうか。

『よくわかる現代魔法 6』読了。短くも面白かったが、謎のままのことも多く、久々の料理を一口だけ食べさせられて、『次の皿は一年半後に』と告げられたようなものがある。
さて。――悲しいかな、前巻読んで大分経つので、色々全く覚えてなかった。で、確か一通り揃えていたはずだと本棚に向かったのだが、行方不明になっていたと記憶していた巻が並び、あるだろうはずの本がない。ハテ?
ガーベージコレクターの内容を丸忘れしている。若いツバメを手に入れる話だったか?  クリストバルドの呪いって何だっけ。そんな感じで何気なくゴーストスクリプトを読み返し、一気に嵌る。こんなに面白かったろうかと。
幸い、若干手を入れた新装版が図書館に入っていたはず。これを機に読み直すとしよう。

今年は池に直接土を入れて、蓮の開花に挑戦してやろうかと考えついた日。
如月十一日
蝋梅香る。

結局、ディスプレイはネットを頼ることにした。下手な中古より、やけに安かった。 用語解説ほか、価格comは本当に役に立ち、ありがたい。

夜、書店へ。てっきり文庫の方だと思っていた陰陽師の、新刊が出ていた。
少し待っていれば絶対図書館に入るからと思うも、ここ長らく夢枕氏の 文章を読んでいなかったので、最終的に禁断症状に負け、帰宅。直後、既に図書館で 貸し出し可能と知る。

……マンサクが……マンサクの花が……
如月十日
何故、用事があるときに限って定休日と重なるのか。

ディスプレイを探し歩く。無い。大型家電量販店がまた新しく出来ていたが、 そういう方向性ではないようだ。電子部品もほとんど置いてない。ネジザウルスは ちょっと欲しかった。

何時の間にやら彦根駅に裏口が出来ていた。まるで見知らぬ旅先の光景。もう、自分が知っている景色など全てが遥か十年以上昔の、記憶の中にだけしか存在しない光景だと 実感する。老いというより、既に自分の居場所など、この世界に無いと突きつけられたような気分である。
なお、出てすぐの家電量販店の駐車場は一時間無料だった。いやほんと、便利な世になったものだ。あと、売っている様々な携帯音楽プレイヤーとおぼしきカラフルで小さいあれやこれやが、何が何だか全く理解できなかった。想像半分、判別は不可能。


赤いマンサクの苗が格安で売っていた。ディスプレイの件が無ければ絶対求めていたものを。おのれ。
如月九日
ディスプレイだが、冷陰極管ではなくインバータの方が限界にきているらしい。再びばらして弄り回したのだが、極細蛍光灯(冷陰極管)への電気がどうも足りていないよう見える。

このacerのAL1711の場合、冷陰極管は上下に二本ずつ、計四本使われていた。で、ばらした状態で繋いで電流を流すと、端っぽ、根元の方が数センチだけ赤く光り、やがて本当にじりじりと光る部分が増え、少しずつ色味が青や赤に近付いて――

脈絡無く思いついて実験;ドライヤーで熱風を吹きかけて加熱したら、一気に明るくなった。蛍光灯の発光の仕組みってどうだっけと、記憶漁りをしたりなぞ。

また、上か下の一方(二本セット)だけ接続して電流を流すと、割と早く明るくなることが判明。よって、電圧が十分に足りていない――上げられなくなっているのではなかろうかと判断した。
冬場はともかく、夏場なら、問題なくこれからも使えようか。今も、排熱用の穴に逆にドライヤーの熱風をぶち込んで加熱してやればアハハハハ。

…………明日にでも中古ディスプレイを探しに行くとする。


他、蝋梅が綻び出したが香りが今一で失敗したろうか、とか。
もうこのサイズなら大丈夫だろうとメダカの育った稚魚を水槽に放していたのだが、 ちょっと餌を減らしたこの一晩で半分に減った、これが自然か優しさの欠片もない――、と何時もの如き結果と感想、とか。
ここ二日ほど気味が悪いほど温い、とか。

以上、雑然覚え書き。
如月八日追記
思い切ってとことんまでディスプレイを分解していった結果、バックライトの冷陰極管 とおぼしき部品の問題であるようにみえる。出来そうなので交換に挑戦してみるつもりだが、 それまでディスプレイが持つかどうか。
如月八日
自分が生まれた日の新聞というものを読んだことがある。確かジェット機の車輪部分に隠れていた人間のことが記事の一つにあった。国内線。滑走路に停止した飛行機の足から降りて、しばらく歩いたが、そこでばったり倒れて病院行き。
飛行機の飛ぶ上空は、空気も薄いしとても寒くて氷点下にもなる。また馬鹿なことしましたネーという論調だったと思う。
三十数年を越えた本日。何の偶然か同じようなニュースが出た。太平洋越えは流石にきつかったようで、悲しいかな今回、命は無くされてしまったよう。

時間と人間の変化について思いを馳せる。変わったり変わらなかったり。玄妙なものだ。
如月七日
『影執事マルクの覚醒』
読み終えて、もう一度、一冊目から読み直している。楽しい。好きなんだろう。


『おじいちゃんのカラクリ江戸ものがたり』月刊たくさんのふしぎ。
発禁本、もとい出版即回収本。図書館に入ったのは知っていたが、先日未回収だと気付き、即座に借りた。
なんでも、出てくる煙草好きのお爺ちゃんがぷかぷかパイプを吹かしているのが駄目らしい。

世の中にはもっと大切なことが一杯ある。

以下略。馬鹿らしくなったので全部消す。抗議するのは自由だが、それに混じってヒステリックに煙草会社の陰謀説まで持ち出すような連中は、もう少し人に迷惑のかからぬ所で喚きたまえ。副煙流や歩き煙草と同じで、存在の域で他の人々の邪魔である。
なお、聞くところによると、最終的に出版社は希望者のみ回収という感じで落ち着いたとか。何でも『表現・出版の自由』ということで、今度は反対側から猛抗議を喰らったと――
あんまり同情は浮かばない。迅速な対応と、適当な反応を、勘違いした自業自得だ。
如月六日
雪。

ディスプレイがなかなか明るくならない。バックライト辺りに寿命がきているのだらうか。
嗚呼、気分は警察が逮捕状と共に玄関へ訪ない来る声をタダ室内にて一人待つが如し。皆サン、さやうなら、さやうなら。

『くおんの森』
独特のセンスに惹かれ入手。
一巻では、古い少女的漫画にこういう絵柄があったようなと既視感を覚えていたが、二巻ではかなりこなれたものとなっていた。
二巻の古本屋会合、トンネルネタ、果報者め、が個人的に楽しめたが、それより何より一巻末尾の『おれが人間だったなら』あの一コマが、台詞廻しの持っていき方といい、絡まる蔦の如き影といい、二本のお下げを棚引かせ、大きく襟を捲り上げられている前髪目隠し少女の絵といい、一番ざっくりきた。
で。各回各話、様々な妙味の詰まった二冊を読み終えての感想が「あのちっちゃい少女(コ)! あのちっちゃい少女!」と言っている自分に、ちょっと取り返しのつかない無惨なものを覚える。いや、本当にあの頁半分の下コマが くっきりと焼き付いてはいるのだが。

『とある女子大生の日常にみる』
ハズレ。ただし収録作品の出来の良し悪しとは全く関係ない。
『幻の同人作品も収録、初短編集』という煽りだったので、『買わねば! ああ、ついに『夕なぎの街 羽化のきざし』がもう一度読める』と興奮し、ネットで中身を確かめることなく即座に引っ掴んでレジヘ向かった昨年の冬。結局あの話は影も形も無く、やさぐれて読み終えるのに今日まで時間がかかったが、決して自分は悪くない。

以上、本日変わらず雑然と。
如月五日
加温しているのに永らくエビが抱卵しないのは、さて一体どういう理由か。

弁当漫画が室内に見当たらず、さてはいつもの癖で持ち歩き読み歩きしているうちに何処かへ無くしたか、二冊目を買っておくべきかと右往左往するも、念のため弟に『知らぬか?』と問うたところ、夜には部屋に戻っていた。
……いや、行方知れずが落ち着かなかっただけで、返せと言いたかったんじゃない。催促したようで、心苦しい。
如月四日
苔玉用の霧吹きを求め百円均一へ。空いたペットボトルに取り付ける吹き口が二個セットで売っていたので 購入。そういえばこんなものもあった。資源と知恵を生かした賢明な物だと思う。そんなことを思っていると、何やら嬉しくなってきた。

後、図書館へ。ようやく目当てのミステリを借りることができた。軽い足取りのまま、蔵書整理でしばし休館する という館内を一巡り。積み上げたものをカウンターへ差し出す。
……しばらくは五冊ぐらいでこまめに借りて返して、回していこうと決めていたのに。数日前に借りたのがまだ数冊家にあるのに。高過ぎる積読塚を崩すために、本を買うのも控えているのに。
積読塚の高さではなく材質の良さに溜息を吐くこの頃。手元に置いて、安心して、満足しそのまま忘れるという悪癖がすっかり極まった。
如月三日
節分太巻き鰯喰い豆忘れる。明日は立春か、信じられん。

苔玉に挑戦。
まずは別の用を済ます。水に漬けたままだったハゼの種と、先日拾ってきた蝋梅の元気の無いのを、それぞれ ポットに植える。
それから昨年買ったシノブを(枯れてないからトキワシノブか)ほぐして、白い茎ごとに分解。忘れていた分、生育しており、大量に取れる。これにて吊りシノブを二つ製作。玉が小さかったか、一つは無駄に茂る葉が邪魔で、既に鬱陶しく、根が回りだしたら即行で刈ってやると心に決める。
で、苔玉。シノブで二つ、山紅葉で一つ、練った土に植え込み、採ってきた苔をシート状に掃除して被せ(中央に穴を開けて幹を通す手抜き手法)、軽く紐で縛る。苔は意外とボリュームがあった。あと、苔の活着が少々先行き不安である。
なお、ギンゴケと、あとはスナゴケかと思っていたがこれはシッポゴケだろうか。
前者はまだシートで大量に採れるので、いい場所を見つけたとは思うが、それよりハイゴケが欲しい。探さねば。

残ったギンゴケを片方の吊りシノブに被せ(糸巻きは面倒くさいので放棄)、終了。
霧吹きの調達と道具の始末は明日に回すことにする。
次は盆栽の上に敷くつもりだが、その点では春が待ち遠しい。
如月二日
『高杉さん家のおべんとう 1』読。御馳走様、とてもおいしかったです。

書店で見かけ、強く惹かれて購入。ただ、表紙の少女は浮かびかかった涙を堪えているのではなく、 こういう光の入れ方をしているだけのよう。――まあ半泣き顔がとても似合う子であるし、それ以上に あっちの表情の破壊力は強大なものがある。

柳原氏といえば、昔大分読んだというか、本棚に並んでいるはず。が、どうも朧げな記憶と今の絵柄が一致しない(少年の能天気な笑顔は除く)。最も、懐かしさや昔の絵柄に惚れ込んで手に取ったというわけではないので、別に構わない。
内容は――無駄は省く。読めば解ってもらえるし、私が酔っ払う作業をサボらなくても、お勧めだと笑顔ではしゃぎ紹介して回る人々がどんどん自然に現れ、遠からず世間で話題になる本だ。故に、小さい脳を酷使する必要 などはない。
あえてそんな言う必要も無いこと以外を斜めに記すなら、読み返して意外と密度が濃いことに気付いたとか、突拍子も無い方向へ勢い良く跳ねるところが良いとか、地理学って民俗学の最近の呼び名だろうか? など。まあ、映画鑑賞後の欠伸の様な感想未満思い付きである。

本年も良い新シリーズに巡り合えた。2010年、本に限っては、振り返ってそう悪い年ではなかったと、既に決定した故、記す。


少々寒いため、種、未だ撒かず。水没させたままだが、多分一週間ぐらいなら大丈夫なはず。苔も弄らず、 花樹用の穴も掘らず、指には包丁傷。――あと二日と半日ぐらいで直らんだろうか。

包丁の千切り時に抑える左手だが、中指に変えてみたが、そう悪くない。以前の違和感は、自分がまな板に相対して調理しているからであって、千切り時に半歩、右足を引くことで左肘の違和感を無くすことは簡単に出来た。
料理にしても、もう十五年ぐらいあの包丁を使い続けていることになるのか。それでも、こんな基本的なことを今頃になって知ったりする。奥が深いわけではないのだろう。ただ、底とか幅とか際限とかが最初から無いだけで。そう思う。
如月一日
夕より雪。この異常暖冬で正直諦めていただけに、嬉しいというより安堵した。

午前、酔った頭で小腹を満たそうと台所へ。素麺チャンプルーを作らんと具材を刻み出し、そのまま包丁で 親指を軽く擦る。深めの皮一枚といったところなので、上から押さえて終わる。今は問題が無さそうなので、ラップ湿潤法だかを試している。綺麗にいったので綺麗にくっついているようだ。普段のこまめな包丁研ぎが良い結果に繋がったよう。日頃の行い。
ただ、ここは以前にも複数回やっている。千切り時の左手の添え方がどうも違う(中指でなく親指の背を用いる) せいかもしれないが、ここは一つ矯正してみるべきだろうか。
以前、在りしことども

端月/
端月/ 如月/ 梅香月/ 桜月/ 鳥来月/ 雨月/ 七夜月/ 燕去月/ 月見月/ 紅葉月/ 雪待月/ 雪見月/
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