日々、在りしことども



桜月二十八日
快晴。よって種を撒く。
ハゼ、朝顔、おしろい花、それから撫子。ついでに余っていたケールとホウレン草の種を ぱらりと畑へ。
他、トレーに小石を敷き、水を撒いて苔玉の台にしてみたり、源平枝垂れの花柄を摘み 、ローズマリーをポットから鉢へ。
昨日から一転、初夏を感じる日。
桜月二十七日
大風。色々飛んだり倒れたり。
桜月二十六日

桜月二十五日
睡蓮と花弄り。

睡蓮は安プランターに百均のミニプランターを入れて、余っていた温帯睡蓮の株を 植え付けた。これだけ馬鹿のように増やせば、それなりに花を楽しめるだろう。
蓮、早くも芽を高く伸ばし始めている。熱帯睡蓮はこのところの朝晩の 寒さのせいか未だ動く気配が無い。

買ってきた苗を寄せ植え、樹を一回り大きな鉢へと移す。そうして後、取り木に挑戦。
花桃の台木から伸びた枝と、素心蝋梅で二つ、それから山椒の方で一箇所、とりあえず樹皮を剥ぐ。
水苔を押し付けビニールと麻紐で飴のように撒きつけたもの、根元を黒ポットで覆い赤玉土を流し込んで盛り土のようにしてみたものなど、適当にしてみた。これからが楽しみである。


そういえば本日は地元の春祭り。例年のようなうるさいまでの鉦の響きがないと不審に思っていたが、鳴らしてはいたそうだ。最近、耳が遠くなったとは思っていたが、ここまでとは。
ちとショックを受けつつ、本日終わる。l
桜月二十四日
久々に花屋へ。欲しかった緋色のネムが早くも置いてあり、入手。花種コーナーでは盆栽種を見つけ、嬉々としてハゼの種を握り締める。他、格安の発根剤を見つけ興奮し、そのまま勢いに任せ小さく可憐な花苗を掴む。
ついでに隣りのホームセンターで安売りの赤玉土、発酵鶏糞や培養土の一袋百円ものもあった、こちらでもヒャッホイ。始終、えらくニヤついた自覚がある。

なお花屋にて発根剤を入手した折のこと。何故か同名で二つあり、しかも量多いものの方が安い――単位辺りだと恐らく倍ぐらいの差――よって店員氏に問うてみたところ、
「こっちは園芸用で、こっちは農業用です」
「……はい?」
「こっちは園芸用で、こっちは農業用です」
「……はぁ」
「――――良く解らない違いというやつです。中身は同じなんで、こっちでも挿し木用に 使って頂けますよ」
とのこと。
国辺りが農業振興のため頑張っている施策の一つ、とでも適当に決め付け納得した。
自分は農家ではないが、環境問題を憂う一地方人として、この機を活かし積極的に緑化に取り組んでゆく所存である。あはは梅雨挿しにはちと早いが、思う存分花増やすぞ花木増やすぞ盆栽作るぞ取り木するぞ種撒くぞ株分けるぞ睡蓮植えるぞははアハハ。

人生が、楽しい。
桜月二十一日追々記
保存用の塩漬け筍を戻して使うからこその、あのメンマか?
――胡麻油とラー油の扱いが出来ていない。
桜月二十一日追記
多分花桃の菊桃、だと思う。良い木だ。
桜月二十一日
本年も筍を頂いたので、早速調理してみる。定番の筍御飯、焼き筍のほか、 物は試しとメンマを作ってみた。
要は炒めた後、中華出汁と醤油・砂糖・少量の塩で甘辛く煮付ければよいよう。 摘んで食べられそうなものが出来はしたが、あの干乾び甘辛く狐色をした、 何のためにラーメンの上に乗っているのか解らない薄いメンマとはちと違うものの ように感じた。余り外食をしないから、自分の作っているものが正しいのか間違っているのか美味しいのか不味いのか、いまいち客観的な基準が自分の中に打ち立てられない。
更に美味しいメンマを目指してみるか、保存性や安っぽさを追求してみるか、さて。

図書館へ。控えたつもりで大量に借りる。
近所の土手で美しく咲いている木がある。今まで八重桜だと思っていたが、どうにも 花の形がちと違う。良い紅だ。近々、また花屋へ勉強しにゆこう。

この頃は出かけるたび自然と紅葉に目が行く。花が咲いているから種が、とか、これは血染めか、とか。
挿し木にどうだ種はどうだと、ちと外出時の視線が卑しい。
桜月十九日
覚え書き、走り書きで済ませていたここしばらくの雑記を纏める。まあ、それでも変わらず箇条書き。

『水魑の如き沈むもの』読了。このシリーズにしてはおぞましさが薄いというか、 珍しくムニャムニャエンド。うん、本当にこういうのは珍しいと思う。
桜月十八日
先日仕込んだ珈琲焼酎だが、気に入った。味はともかく香りは良いし、豆はやたら安いし、仕込んで四日もすれば飲め、砂糖を使わないからあの無駄な甘ったるさがない。

唯一の欠点は、余りに口当たりが良いため飲み過ぎることか。

ほんの数日で焼酎二リットルは空けた。味の濃い日本酒をちびちびやる方が健康には良いやもしれん。
桜月十七日
庭の花木だが、まだ桃も桜ももっている。
枝から色々芽吹く。芍薬も伸び上がる。
ただ、苔玉が乾燥する。鉢物の根元に置くだけでは駄目か。

遠く、春祭りの鉦の音、響く。
桜月十四日
長浜まで。ここのところの強風で散るものは散ったらしく、桜で一番美しい散り際が 楽しめない。
昨年楽しんだ長浜城向こうの湖岸沿いを本年も行く。散ったものもあったが、残っている ものも多い。何故この近辺は話題にならないのかと、今年も思う。

花は全体的に赤味を増していた。来年も、また此処にと、満足しつつ思う。
桜月十三日
心配していたハゼもついに発芽。でも、明日からかなり冷え込むとか。不安である。
桜月十一日
花見。まずは旧豊郷小学校へ。遅刻したため、アニメの舞台となった場所は見れず。 まあ、自分は近所だから気が向いた時に来れば良い。
池の鯉を模した噴水ほか、純粋に良い建物であった。階段手摺りの兎と亀などは、 文鎮として欲しいぐらいだ。
後、痛車多数。見覚えのあるものも在り。

やや雨のぱらつく中、惣菜を買い込み、彦根城へ。銀座側、中々良い場所にシートを敷いて満開の花の下、摘む。
タラや若鮎、筍の天麩羅や、ワラビのお浸し等、季節を味わえる惣菜が中々良かった。 ネタとして太巻きの他、蕎麦寿司を持参してみたが、無事に受けた模様。

雑然と話しているうち、何やら消防隊員らしき人々が城の堀へと梯子を下ろす。見れば、何処から迷い込んだか橋の足の部分、水面ギリギリに取り残されている猫。かくして、苦労して降り網を構える目前から逃げ出す猫、猫掻きで泳ぎ去る猫、石垣の上に助け出したのに飛び降りてもう一度逃げ出す猫、と「大変だなぁ、平和だなぁ」そんな光景を他の花見客とともにぼけらと眺める。

後、久々に入った城の櫓内資料館で時間を潰し、喫茶店で雑談などをして、夜桜に変わった景色を見つつ、帰。
春らしき一日であった。
桜月十日
桜は満開。何処を向いても白く、どれを見ても美しい。

また何時もの書店で痛車。キャラは禁書目録の――超電磁砲の、というべきだろうか ――テレポーター。
所属組織のラベルから、まだまだあの付近に痛車は走り回ってそうである。観察記録をつけているようで、何やら楽しい。

桜の下、何やら撮影会をしているアジア系の外国人集団を見かける。何処の国か解らぬが、ああいう一枚布をそのまま使ったような服は結構好きかも知れない。

帰路、店で焙煎している珈琲屋で珈琲焼酎用の豆を僅かだけ求める。やけに安かった。
桜月八日
天気良く、花見へ。彦根方面は九分咲きといったところ。明日はもう満開だろう。 昨年も行った、犬上川沿いの場所が良かった。数は少ないが、人は少なく花は近く、 桜の下より見上げる真っ青な空の色が、とても目に残った。
彦根の方は、何時もと違い紅枝垂れ八重桜や桃のように白い桜へと目が引かれた。 とくに前者を見ていて思ったが、うちの紅枝垂れは紅さが足りないんじゃないだろうか。 蝦のように若い頃は色が薄い、ということもあるまい。これも誠実さを欠いた 現代商法の一つかと、独り結論し憤る。

例年は自転車で走り回り、疲労して果てるので、本年は車を用いたが、移動中に其処彼処で季節を感じるという何時もの楽しみは当然薄かった。次は後部に無理やり積んで動いて見ようか。
桜月六日
このところの暖かさで一気に花が咲き出している。庭の枝垂桜もぽつぽつ開き始めた。
桜月四日
夜、家の前で狐を見かける。最近うろついているらしい。明日からの朝夕が楽しみ。
昨日ので気管を少々傷つけたらしく、痛みなどは無いが咳き込むと血の香をほのかに感じる。 頂上、寒かったもんなぁ。
桜月三日
山へ鹿角を拾いに行く。結果、『横から突風に乗って白いお友達が!?』

本日は花粉少なく天気快晴と聞き、思い立って霊仙山へ。まだ早いかと思いつつ、登山道を踏む。
麓では、山桜とおぼしき清楚な花が枝を白く散り飾っており、過去の先人達が愛したのがこの桜だというのなら、彼等の心根はさぞ清らかであったのだろうと、感慨に耽りなどしていた。

すぐ、順当に犬の如く息を切らしながら先へ。以前道を間違え、遭難しかけた方へと、今度も一度迷い込みかける。多分笹峠付近だと思うのだが、出来ればわかりやすい看板か何かで注意を促すべきではなかろうか。まあ、そうこうしつつ西南尾根に到達。一気に登って開けた景色を、口を緩めたまま、ただただぽかんと堪能し続ける。
そのうち、強く吹き付けてくる風の中に混じり出す白いもの。尾根道はすぐに強風でも晴れぬ靄が立ち込め、先も後も見えなくなる。吹く風は雪混じり。『ああそうかー別に降る必要は無いもんなー山の上なんだから雲ごとぶつかってくればいいんだー』とか考えていたのを覚えているが、さてあれは現実逃避の一類だったのか?
そのような状況でさほどうろたえず落ち着いていられたのは、前後に何組か居た外の登山客の影響も大きかったのだろう。靄の中、先を行く姿見えぬ人の熊除けの鈴がカラン、カランと鳴る。その音だけを頼りに、道も不明瞭な尾根の石くれの中を進む。足元には黄色い福寿草がぽつぽつと、それでも麓などより遥かに多く咲いている。途切れぬ風。時にはさらさらと音立てて、雪。乳白色の靄、風の白い影のような雪、灰色の岩、濡れた黒土、その隙間に時折覗く、この暗さに浮かばず世界のくすみに溶け込むような福寿草の黄。その中、ただ前へ先へと動く私は、カラン、カランと 靄の向こうで聞こえるものについてゆき――

――まるきり定番の山での神隠し、怪談の部類であるが、余りに昭和の昔に過ぎる。そう考えていたのも覚えているからして、無駄に余裕はまだあったのかもしれん。
まあ、そうして途中には食事を取り、ついには二つの山頂、最高点と三角点へ到達する。後者は特に吹き荒んでおり、何やら低木も白い。そそくさと降りて少し登り、経塚山へ。途端、天候がましになったが、あれは位置か標高か偶然か時間か風向きか無論日頃の行いか。避難小屋を一瞥だけし、解りづらい分岐で池経由の帰路へ付く。

さて、ここで振り返るまでも無いが、今回の目的は春先に生え変わるという鹿の角拾いである。
福寿草観察でも、軽装登山で人生勉強でも、ない。麓の山道で運良く拾えたならそもそも登るつもりは無かったし、まあそれをいうなら鹿の角が何かに必要な訳でもない。何となく欲しかった、いや拾ってみたかったのだが、そこまではさておく。で、下り道の楽さに任せ、それとなく探索。途中、目に付いた獣道を掻き分け、鹿の皮齧り跡の周りを探し、まだ雪溜まりとして固まっているヌタ場らしき場所の周囲を見回す。結局、骨と、まだかなり原型の残る死体(角はなし。小さいし、子供か雌か)などは見つけたが肝心の収穫はならず。
一月後に、こちらルートから登って、この辺りを探すかと目星だけつける。

やたら滑りやすい道を下り、倒木を覆う苔の深緑が目に眩しい林を抜け、山を出る。
下界は温い。が本日の体感。
桜月二日
ここしばらく胃の調子が悪い。荒れているような、もたれているような。 また、夕食後、恐ろしく眠くなる症状も悪化している。何が原因やら。
桜月一日
嘘のネタも気力もなし。

気がつけば春である。冬から考えていた、鹿の角拾いに挑戦時期到来である。
霊山で川沿いを歩くか、遭難しかかったら多分見つけられると思うのだが。
嗚呼、山の声が聞こえる。山を舐めンナ、迷惑だからくンナという声が。
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